MINMIと翼を広げよう
どうもです。
今回は、「少しの自閉症」について、話していこうと思います。
私は、幼稚園、保育園に行ったこともなくて、友達の作り方も知らず、家でNHKばかり観ていました。
母は働いていて、そばに祖父と叔母がいたのですが、ほとんど、一人でいて一人遊びをして、近所に友達もいないので、NHKが楽しくて、ずっと観ていて、今、思うと家族と話すより、楽しかったように思えます。
そんな、私を祖母が時々、お風呂の焚き木を山に取りに行く時に、連れてってくれて、色々な花や草の話をするのが好きでした。
人との関わりが分からず、困ってしまったのが、小学校入学した時でした。
本当に、何を話していいか?分からず、言葉を話すのに、覚えてたのが、NHKで話す話し方でした。
なので、敬語だったんです。敬語もちゃんと使えてないし、先生には「そんなに丁寧じゃなくて、いいよ」と言われ、話し方がおかしいとクラスメイトに嫌われてしまい、孤立してしまいました。
自分自信も話し方がわからなかったので、家で一人でいるのが好きで、不登校になって、でも、母は学校に行きなさいで、本当に大変でした。
先生に「相談する」と言うことも知らず、家族にも話せないままでした。
家では、姉に怒鳴られて、それを母はほっといて、いました。
上手く話せないのは、高校の中半まで、続いて、友達に色々言われて、嫌になり、寮暮らしだったので、バンドやりたい子を募って、バンドやってみたんです。
趣味が合うので、少しづつ話せて、少しづつ、笑えるようになり、少しづつ、冗談が理解するようになり、自分でも、少しづつ冗談が言えるようなり、楽しく思えてきました。
短い時間のバンドですが、やってよかったと思っています。
卒業出来なかったので、卒業ライブ出来なかったですけど、いい思い出です。
学習障害からも来てるみたいですけど、人が話したことを理解することに時間がかかり、自分で話すのも時間かかるので、かなり、ゆっくり話していて、ペースが合わなかったですね。きっと。
おっとりし過ぎて、色々、言われてました。
後から、分かったことですが、
話すことも本当は出来なかったかもしれなかったのに、頑張って話してると言われました。
自分では、酷い人見知りだと思っていて、びっくりしました。
今でも、3人以上の話が苦手で工夫しています。
自分の中では、普通の人にならないと自分のこと、ちゃんと見てもらえないと思って、必死だったと思います。
色々、出来ない自分が嫌で責めて、がむしゃらだったと思います。
自分は人より、出来ないことが多いので、バカにさられるのは、当たり前で、姉からは「バカなんだから、私や人の言うことききなさい。」と言われ、逆らうと嫌われるし、文句言われると思い、言い返せなかったです。
そんな性質があって、人にたくさん、振り回されて来ました。
他に何かいいものを持っているなら、早く知りたいと思って過ごしていました。
でも、今は、私は自分らしく生きると決めて、動き出しました。
次は変わり始めたきっかけをお話したいと思います。
ここまで、読んでくださってありがとうございます!
でわ、またです(*^^*)