minmiと翼を広げよう

私の発達障害について、話していこうと思います。

私は学習障害多動症ADHDと少し自閉症を持っています。

今回は学習障害について話していこうと思います。

学習障害は、小学校3年生から、勉強しても、練習しても、漢字が書けないと悩み始めました。

 

クラスメイトが漢字を書けるようになる中、私だけ書けなくて、姉からバカにさられるようになり、自信が持てなくなり、中学の時は、英語が書けなくて、姉やクラスメイトにバカにされて、練習しても、しても、書けなくて、親にもいえず、ずっと、一人で悩んでいました。

 

今でも、自分の名前、住所を覚えるのがやっとで、かなり苦労しています。

 

人前で字を書くのが苦手で、教えてくれる人は嬉しいのですが、中には、文句を言いながら、教える人もいて、悲しい思いをしていました。

 

わざと難しい漢字を読ませて「このくらいも出来ないのか」とバカにされましたね。

書けないことが、こんなに悪いことなんたと刷り込まれていきました。

ひながな、カタカナは高校生の時にやっと、書けるようになりました。

 

本当に自分をバカだと思っていました。

 

高校は意地で取りました。
16歳で就職して定時制
学校に行き難しかったですけど、時々サボっていましたが、4年間働きながら行きました。

 

卒業まじかで、先輩と遊んでいて、事故にあって、むち打ちをしてしまい、仕事が出来なくなって、学校も辞めることになり、その年卒業することができませんでした。

 

それから、私は今までの取得単位を学校からもらい、県外に就職していたので、地元に戻って、通信制に通い大変でしたが、
足りない単位を取って、高校卒業しました。

 

ここまで、頑張れたのは、頭がいい姉が、大検を持っているけど、大学を途中で辞めて、中卒なので、何か一つ勝ちたくて、高校卒業しました。

 

あまり、いい動機ではないですけど、

かなり、悔しい思いをしていたので、そういう、気持ちでした。

 

私が、卒業したからって、かざして、今までのこと言い返すのは、違うと感じていて、文句いっぱい言われるけど、頑張ったって気持ちはあるので、高校卒業出来たことだけは、少し感謝しています。

 

でも、色々言われるの嫌ですけどね、

 

お仕事は接客してました。
話すの大変でした。
字も書きたくなくて、葛藤しながら、でも、笑顔で接客だったので、顔に出ないように、頑張っていました。

 

全てが苦手でそれを何とか、こなさないといけない中で、がむしゃらに頑張って来ました。

「諦めない。」を胸にやって来ました。


次回は多動症ADHDについて、お話したいと思います。

ここまで、読んでくださってありがとうございます。

 

でわ、またです(*^^*)
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